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金ヶ崎城跡(敦賀城)
2012 / 05 / 13 ( Sun )
福井県敦賀市金ヶ崎町にある金ヶ崎城です。
金ヶ崎の退き口(金ヶ崎崩れ)とも呼ばれました。

元亀元年(1570年)、織田信長軍は朝倉軍が立てこもる手筒山・金ヶ崎城を一気に攻略しました。
浅井長政は近江で信長を牽制する動きを見せ朝倉氏へ
攻め上がろうとする信長の後背を脅かした。
退路が断たれることを恐れた信長は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)を殿軍に残して金ヶ崎城を脱出。
この時長政の妻お市の方が兄の信長に危機を知らせるため小豆袋を送ったという
逸話が残っています。


小高い丘にある金ヶ崎城跡の麓に足利氏と新田義貞の戦いで城の陥落とともに捕縛された恒良親王と、新田義顕とともに自害した尊良親王を祀った金崎宮があります。その脇には城跡の石碑も建てられてました。
P1000502.jpg

丘を上っていくと城の一部でしょうか。石垣が残ってました。
P1000504.jpg

ここから敦賀湾と手筒山を眺めることが出来ます。
P1000511.jpgP1000510.jpg

金ヶ崎城跡です。少し上がると尊良両親王御墓所見込地とされた石塔もありました。
IMG_3030.jpgP1000517.jpg

明治42年6月に発見された円墳です。竪穴式石室を有し、
副葬品は直刀一振・銅鏡一面が出土したそうです。
P1000528.jpg

さらに丘を登ります。金ヶ崎山の最高地で月見御殿と呼ばれます。
南北上時代の金ヶ崎上本丸跡といい、戦国時代などにも武将が月見をしたと伝えられてます。
P1000525.jpgP1000522.jpg

月見御殿から下っていきます。
左は金ヶ崎城の三の木戸跡です。当時清水が湧き出ていた伝えられてます。
右は焼米石出土跡です。金ヶ崎城の兵糧庫があり、
織田・朝倉の攻防戦で落城の際倉庫は焼け落ちその焼米が後に出土したと伝えられてます。
P1000530.jpgP1000534.jpg

手筒山へ向かうルートへ進んでいきます。
しばらくすると手筒山の「見張台跡」に到着しました。
城郭の一部で敦賀全域に号令したようです。
IMG_3036.jpg

今は展望台や広場になっていて憩いの場になってました。

《参考》手筒山城跡へいく
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